●2017.3.31:青竹による誘導手すりの取り付け
幼稚園児がたんぼ見学するために安全柵を作ってはと提案・・樺さん・・大喜びだったので・・
●2017.3.31:青竹による誘導手すりの取り付け
●2016.10.7:脱穀作業・・道具がない⇒手作り
・「稲架:はざ」・・約120-150束
全景:北東の奥に「脱穀機」を置き、飛び散り防止のシートでカバーし・・
★脱穀機がない⇒工作で作った「脱穀機」
⇒「粗目のふるい」の金網にこすりつけて、モミを分離し
⇒大量に残った モミを 手作業でも分離し・・
★唐箕(とうみ)がない⇒「箕:み」と、「扇風機」で、わら などをざっと吹き飛ばし・・
⇒さらに 細かな目の 「ふるい」 と扇風機で モミを選別する
⇒結果として、モミ 約50Kg を収穫。
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●2016.10.12 精米:ジョイフル本田NT店
・モミを精米する装置が、千葉県北部にはここにしかない(JA以外では)
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●約5000年前の房総半島:千葉県の海岸線・・
・海面は今より約15mほども上昇した状態だった・・(縄文海進/+2~3℃/ピラミッドの時代)
★鎌ケ谷は、房総半島への唯一の通路
https://kamagahara.blogspot.com/2013/08/blog-post.html
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●橋本遺跡(縄文-早期=1.2万年前~中期=4500年前)
●弥生時代(約2000年前)~ 農耕:水田稲作、畑・・・(キリスト生誕の頃)
【「枕木」と「犬釘」】
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●1969年頃のかば田んぼ・かば畑周辺の写真
市役所で「かまがや環境フェア」第9回のパネル展が行われた。(展示期間は、2017.10.4-8)
「大津川を清流にする会」の展示パネルに、昔の写真が載っていた。
<かば田んぼ付近から、北部小を見る> <昔のぼろ橋:木造>
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●1946~1975年頃:かば田んぼ付近の戦後~+30年後の航空写真:水田から畑などへの変化
<1947年(S22)の周辺航空写真>
・大津川・長谷津周辺はほぼ水田だった
・戦後の日本は食糧難だった。米の配給制。
<1975年(S50)の周辺航空写真>
・水田が消え、畑・埋立地/耕作放棄地が急激に増える。
・高度成長で食生活の変化:米生産→梨/野菜生産など。農業人口減少。
(2次・3次産業へ ⇒サラリーマン増)
・排水設備:三面張り排水路の拡充・・宅地化などで水田用の水も不足
・三面張り排水路:周囲の水田の乾田化(大型機械の導入が可能)
<周辺の土地利用・環境変化等についての一覧表 (戦後1946~2017年)>