●2017.3.31:青竹による誘導手すりの取り付け
幼稚園児がたんぼ見学するために安全柵を作ってはと提案・・樺さん・・大喜びだったので・・
●2017.3.31:青竹による誘導手すりの取り付け
●2016.10.12 精米:ジョイフル本田NT店
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●2016.10.7:脱穀作業
・「稲架:はざ」・・約120-150束
全景:北東の奥に「脱穀機」を置き、飛び散り防止のシートでカバーし・・
工作で作った「脱穀機」
⇒「粗目のふるい」の金網にこすりつけて、モミを分離し
⇒大量に残った モミを 手作業でも分離し・・
⇒「箕:み」を使って、扇風機で、わら などをざっと吹き飛ばし・・
⇒さらに 細かな目の 「ふるい」 と扇風機で モミを選別する
⇒結果として、モミ 約50Kg を収穫。
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●2016/9/23~27:稲刈り
・稲架はざ は総延長約16mが一杯
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●佐津間湧水マップ(含む推定)・・2015.12.7:水源地巡り
・航空自衛隊基地の滑走路の場所は分水嶺(東が大津川⇒手賀沼、西が金山落⇒下手賀沼に)
・基地建設前の、明治初期(1896-1909年)の地形図に、等高線25m/27.5mと、推定分水界を
マークし、地形から湧水しそうな場所を推定。
・分水界で囲まれた場所に降った雨は、地中に浸透し、溢れた分は小川を作り流れていく。
浸透した面積と湧水量は比例していると想定する。
溢れた水は土を流し、谷を作っていく。その谷の側面付近に湧水地点も出現するはず。
・1925年以降建設されたゴルフ場・基地滑走路で、雨水の地下浸透環境がかなり変化したはず。
さらに1954年以降、滑走路は南に延長され、さらに変化した。
(滑走路は舗装し、周囲より高く盛られている。周囲の地盤も盛り土等で平坦化し、豪雨・積雪
などで離着陸に影響しないよう、側溝などの排水設備が設けられているであろう。)
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●戦後の航空写真(1946~2017)と水田から畑などへの変化
<1947年(S22)の周辺航空写真>
・大津川・長谷津周辺はほぼ水田だった
<1975年(S50)の周辺航空写真>
・水田が消え、畑・埋立地/耕作放棄地が急激に増える。
(排水設備:三面張り排水路の拡充など)
⇒ 関連する航空写真を参照
https://kamagahara.blogspot.com/2018/03/blog-post.html
<周辺の土地利用・環境変化等についての一覧表 (戦後)>
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●1969年頃のかば田んぼ・かば畑周辺の写真
市役所で「かまがや環境フェア」第9回のパネル展が行われた。
展示期間は、2017.10.4-8。
「大津川を清流にする会」の展示パネルに、昔の写真が載っていた。
●かば田んぼ・カバ畑の年間作業・・かかしコンテスト等追加もあり 会員募集中:共同作業・基本: 第2・ 4日曜。9:30~ ( 夏季:6-9月は9:00~ ) ・メール:kabatanbo@gmail.com ・Blog:https://kabatanbo.blogspot.co...