2017-08-05

水質調査:2015+2017年

●かば田んぼ 水質調査: 2017.08.05(土)





●大津川水質調査:
2015年4月2日(木)+4月9日(木)




2017-03-31

2017年:かば田んぼ:誘導手すりの取付 、おたまじゃくし

●2017.3.31:青竹による誘導手すりの取り付け

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●2017.3.23:田んぼにカエルがたくさんの卵を生む。アズマヒキガエル? 
毎年幼稚園や保育園の子供たちが先生に連れられ見にくるので・・
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●2017.3.3:
幼稚園児がたんぼ見学するために安全柵を作ってはと提案・・樺さん・・大喜びだったので・・
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2016-10-12

2016年:田植え~稲刈り~脱穀~精米

●2016.10.12 精米:ジョイフル本田NT店
 ・モミを精米する装置が、千葉県北部にはここにしかない(JA以外では)

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白米の重量を測定・・36kg

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⇒5Kgの袋に分ける。
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●2016.10.7:脱穀作業・・道具がない⇒手作り
「稲架:はざ」・・約120-150束

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全景:北東の奥に「脱穀機」を置き、飛び散り防止のシートでカバーし・・

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★脱穀機がない⇒工作で作った「脱穀機」
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 ⇒「粗目のふるい」の金網にこすりつけて、モミを分離し
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⇒大量に残った モミを 手作業でも分離し・・
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★唐箕がない⇒「箕:み」と、「扇風機」で、わら などをざっと吹き飛ばし・・
⇒さらに 細かな目の 「ふるい」 と
扇風機で モミを選別する
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⇒結果として、モミ 約50Kg を収穫。

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 ●2016/9/23~27:稲刈り・・今まではスズメの餌だった。

・稲架はざ は総延長約16mが一杯


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2016.5.8:田植え・・四金会が樺澤さんのお手伝い開始
  ・一人で頑張っている「おじいさん」を・・

 





2015-12-07

佐津間、カバ田んぼの水源地:調査

佐津間湧水マップ(含む推定)・・2015.12.7:水源地巡り
  ・航空自衛隊基地の滑走路の場所は分水嶺(東が大津川⇒手賀沼、西が金山落⇒下手賀沼に)
 ・基地建設前の、明治初期(1896-1909年)の地形図に、等高線25m/27.5mと、推定分水界を
   マークし、地形から湧水しそうな場所を推定。
  ・
分水界で囲まれた場所に降った雨は、地中に浸透し、溢れた分は小川を作り流れていく。
   
浸透した面積と湧水量は比例していると想定する。
   
溢れた水は土を流し、谷を作っていく。その谷の側面付近に湧水地点も出現するはず。
  
・1925年以降建設されたゴルフ場・基地滑走路で、雨水の地下浸透環境がかなり変化したはず。
   
さらに1954年以降、滑走路は南に延長され、さらに変化した。
  
 (滑走路は舗装し、周囲より高く盛られている。周囲の地盤も盛り土等で平坦化し、豪雨・積雪
    などで離着陸に影響しないよう、側溝などの排水設備が設けられているであろう。)



 北方前の湧水池(E)が、カバ田んぼの水源

 
北方前は湧水タイプⅠ

2014-04-01

2008年~2014年頃:かば田んぼ・かば畑

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●2014年頃~水田の開始:樺澤(かばさわ)さん・

・「鎌ケ谷・大津川を清流にする会(2008年)」
・大津川周辺の雑草地を少しづつ草刈り・・自然環境を

ホタルを・・
 ⇒地主さんから土地を借り・・黙々と
・斜面の自然給水で、小さな水田を作成(2014年頃)
・親戚からの苗で田植え
稲刈はせず・・スズメの餌に

●2012年頃から~家庭菜園をグループで:四金会・・かば田んぼ の近くの畑を借りて・・
   無農薬・有機肥料 (化成肥料は使わない)

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●2011.3.11:東日本大震災~福島原発事故~
       ⇒安全な食べ物・水への関心

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●2009年頃・・サラリーマン・・退職・・時間に余裕
 ⇒アウトドア志向、家庭菜園、環境整備、自然への愛着・・の人たち増える。
 ・ナショナル・トラスト、xxをきれいにする会、xx森の会、xx環境塾、
   xxビオパーク、xxを守る会、xx里山クラブ・・・・

 ・自然の風景地などを保全し、利活用しながら次の世代につなげていく活動

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●2008年頃の田んぼ・畑状況

大津川の周辺は、ほぼ耕作されていない・・⇒★耕作放棄地

2000-01-01

かば田んぼ・かば畑 周辺の歴史、昔の写真、航空写真

紹介

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戦後の航空写真(1946~2017)と水田から畑などへの変化
1947年(S22)の周辺航空写真>
 ・大津川・長谷津周辺はほぼ水田だった
  ・戦後の日本は食糧難だった。米の配給制。

1947


1975年(S50)周辺航空写真
 ・水田が消え、畑・埋立地/耕作放棄地が急激に増える。
  ・高度成長で食生活の変化:米生産→梨/野菜生産など。農業人口減少。
             (2次・3次産業へ  ⇒サラリーマン増)

  ・排水設備:三面張り排水路の拡充・・宅地化などで水田用の水も不足

 
三面張り排水路:周囲の水田の乾田化(大型機械の導入が可能)
 


コンクリート製


木製:(幅5~6m):丸太の柱だけが残り、側面、上部の木は流出したようだ。
          (多分このような構造⇒)






⇒ 関連する航空写真を参照

   https://kamagahara.blogspot.com/2018/03/blog-post.html

周辺の土地利用・環境変化等についての一覧表 (戦後)> 

1946


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1969年頃のかば田んぼ・かば畑周辺の写真

 市役所で「かまがや環境フェア」第9回のパネル展が行われた。
展示期間は、2017.10.4-8。
「大津川を清流にする会」の展示パネルに、昔の写真が載っていた。

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●藤ヶ谷陸軍飛行場専用線の廃線跡
 ・藤ヶ谷陸軍飛行場(現在の海上自衛隊下総航空基地)
  ・1932年(昭和7年)、東洋一の規模・敷地の「藤ヶ谷ゴルフ場」として開発
  ・1944年(昭和19年)、陸軍が首都圏防衛目的に接収、同年秋頃から鎌ヶ谷と風早村
   にまたがる飛行場の建設が開始。
  ・1945年(昭和20年)4月、藤ヶ谷陸軍飛行場として完成。
   ・2ヶ月後、飛行第五十三戦隊が根拠とした。
   ・さらにその2ヶ月後に終戦となり、米軍に接収された。
 ・飛行場用の専用鉄道線ルートは、六実駅~(現:セブンイレブン南)~ぼろ橋~滑走路
  ・「枕木」に「犬釘」が刺さったまま残っている。


  【六実駅~(現:セブンイレブン南)~ぼろ橋~滑走路】

           【「枕木」と「犬釘」】

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●中野牧(軍馬の放牧場)・野馬土手(江戸時代:1600~1869年)
 ・大津川の上流は牧場で、保水力があった。=川に沿った稲作が可能

 

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●弥生時代(約2000年前)~ 農耕:水田稲作、畑
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古代の鎌ヶ谷周辺の遺跡や貝塚
 ・海面は今より約15mほども上昇した状態だったと想定できる・・
  ★房総半島への唯一の通路



      約5000年前の海岸線

https://kamagahara.blogspot.com/2013/08/blog-post.html